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					高橋俊介 
					キャリアコンサルタント  [ キャリア ] 
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					高橋俊介
					
					[インタビュー]
 
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						 キャリアショック /東洋経済新報社(1) 
						 2006.06.25 
						[ TOPBRAIN RADIO ] あのベストセラー著者に聴く! 
					
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					 自分のキャリアを自分で作るというのは、1つの能力なのです 
					 
					 
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			29歳で転職。コンサルの世界に入り、それが天職に
  【高城】 今回のゲストは東洋経済新報社から出版されております、5万部を突破したベストセラー「キャリアショック」の著者、高橋俊介さんです。 高橋さん、今日は宜しくお願い致します。
  【高橋】 宜しくお願いします。
  【高城】 お目にかかりたかったので、お会いできて大変光栄に思っております。
  【高橋】  こちらこそ、光栄です。
  【高城】  今回のテーマは「キャリアショック」という本を中心にお話ししていきたいと思います。まずは高橋さんのキャリアも少しお伺いし、その後、書籍の話をお聞きしたいと思っています。始めに、最近のご活動をお聞かせ頂けますか?
  【高橋】  大体半分は大学関係、半分は個人でいろいろ講演、研修のお手伝いをしています。企業の方々とのお付き合いも多いので、例えば人事の方々と一緒に研究会で「今の若い人達の成長実感はどうなっているのか」や「個人でキャリアを作ってきて満足度の高い人はそうでない人と行動パターンはどこが違うのか」などインタビュー調査を行い、大学と企業の間の橋渡しみたいなことを行っています。もちろん授業も担当していますがね。
  【高城】  高橋さんといえば、人事戦略やキャリアを語られたらおそらく日本一でないかと思いますが、実はもともとはというと東京大学の工学部出身で、旧国鉄ですよね。
  【高橋】  そうです。
  【高城】  国鉄にご入社されて、そこからワトソンワイアットにおいて人事という、現在の天職にお会いになっていると思うのですが、そのきっかけを教えて頂けますでしょうか?
  【高橋】  大学は航空工学を専攻しましたが、理由は簡単で、飛行機が好きだったからです。ここでは飛行機を作ることを学びましたが、残念ながら、当時はオイルショック以降、メーカーの採用が不調で、おまけに日本ではあまり飛行機を作っていなかったんですよね。そんなこと、本当は最初からわかっていなくてはいけないんですけどね。 飛行機の次に好きなのは鉄道かなと思って、とりあえず鉄道に入ったのですが、「鉄道が好きだ」ということと「鉄道の仕事が向いている」ということはイコールではないことが、入ってわかりましたね。よく「好きを仕事にしろ」と言いますけど、「そう簡単なものじゃないぞ」ということですよね。
  【高城】 そうですね。でも当時、大学生の中でそこまでなかなか情報が入ってこないですよね。
  【高橋】  そうですね。留学も含めてここまでは純粋にエンジニアだったのですが、マッキンゼーとの出会いは偶然でしたね。MBAとかに行っている人たちは知っていたようですけども、当時マッキンゼーなんてほとんど日本で全く知られていない頃でしたから。
  【川崎】  そうですよね、時代的には。
  【高橋】  私はせっかくアメリカに行ったから、現地で就職しようかなと思ったのですが、ビザがないと難しくて。たまたま「外人可」の求人広告があった会社を見たら「マッキンゼー」と書いてあった。それで応募してみようと思って応募したら「日本に帰ってもらうことになるけどいいか」と言うので、「とりあえず話は聞きましょう」と言って聞いたんですよね。 そこで「人の会社の経営の相談に乗るだけでそんなにお金がもらえる仕事があるんだ、へえー」という感じで、とりあえずおもしろそうだからやってみよう、と。それが29歳の時ですね。
  【川崎】  おもしろそうだから?
  【高橋】  それはそうですよね。人の会社の経営をいろいろ疑似体験できるわけでしょう。
  【川崎】  1社だけでなくて、いろいろな会社の体験ができるわけですね。
  【高橋】  3年やってみて思ったのは、コンサルという仕事そのものは結構自分に向いているかもしれないな、ということですね。経営一般よりもどこか1つの分野に絞り込んで、そこで何か作っていきたい。その時に「やはりこれからは人の問題ではないか」となんとなく思ったんですよね。それでワイアットに入ったのが34歳ぐらいの時で、38歳で東京の社長をやりました。
  【高城】  あっという間ですね。大学を出て、20代の後半まで一般企業にいて、そこからコンサルティングの世界に入って、10年経たないうちですよね。
  【高橋】  29歳で全く違うコンサルの世界に突然入るわけでしょう。でも結構こういったことはあるみたいですよ。テレビを見ていたら、タモリがサラリーマンから芸人になったのは30歳と言っていましたから、似たようなものですよね。
  【高城】  「キャリアショック」。この本自体、バイブル的に読まれている方がとても多いと思います。高橋さんは、個人主導のキャリア開発をされていらっしゃるということですけど、個人主導というのは具体的にどういうことを意味するのでしょうか?
  【高橋】  特に重要なのは会社任せの人生、例えば「1週間前に辞令があれば日本中どこでも転勤する」、「職種転換で全く関係のないキャリアにも行く」、「1ヶ月前に中国行けと言われれば転勤する」というやり方が、日本企業の強さといわれてきたと思うんですよね。その結果できたキャリアに対して、会社はその人が引退するまで責任を持ちきれるのかというと、かなり崩れたのが90年代の特徴だと思うのです。 会社側としても雇用の責任は今までのようには取れないけど、社員のキャリアは今までのように「好きにさせてくれ」とはいかない。個人にしても会社任せで「危険だよね」というイメージが非常に強まってきたと思うのです。その時に自立的に個人主導でキャリアを作っていくことが、本人のわがままをただ聞けばいいのかという話になるのです。 ところが自分で自分の幸せなキャリアを作る能力というのは能力であって、誰しもが生まれつき持っているものではないのです。頑なに「これだ」と決めたら、「この仕事以外絶対にやらない」と頑固になることが個人主導だとか、学生で勤めたこともないのに「私の天職はこれだともう決めているんです、絶対これでいくんです、ほかには興味ありません」みたいにするのが個人主導だと思ってしまったり、あるいは焦ってとにかく早く何か食える資格取らないといけないとすることを個人主導だと思ってしまったり、すごく誤解が多いわけです。
  【川崎】 多くの方が、そのように思っているのではないかなと思います。
  【高橋】  そのように誤解してしまうと、企業にとっても個人が頑なに会社の言うことを聞いてくれなくなるし、本人は本人で結局自分の幸せなキャリアは意外に作れない。どちらにとっても不幸ですよね。 
			  
			 
			  
			 
			  
			
	
			 
		
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