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重茂達
経営サポートサービス代表取締役 [ キャリア ]
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重茂達
[インタビュー]
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35歳までに必ずやるべきこと/かんき出版(1)
2006.03.05
[ TOPBRAIN RADIO ] あのベストセラー著者に聴く!
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若いうちは目先のことを考えずに まずは何事も一生懸命にすることが大切だと思います。
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年齢を気にするよりも、頭を柔かくしよう
【主藤】 今回のゲストは、かんき出版から出版されております、15万部を突破したベストセラー「35歳までに必ずやるべきこと」の著者でいらっしゃいます、重茂達さんです。重茂さん、今日は宜しくお願い致します。
【重茂】 宜しくお願いします。
【主藤】 とても興味深いご経歴をお持ちですが、現在はどのような活動をしていらっしゃるのでしょうか?
【重茂】 アデコの社長を2001年の12月で引退し、私より10歳若い社長に引き継いで、私はすっかりアデコの経営から身を引いて、経営サポートサービス株式会社という会社を作りました。
全くの個人会社でして、虎ノ門に事務所があり、事務員も置かず私一人で気楽にのんびりやっていますが、今は8社ほどの会社と契約し、社外取締役や監査役、あるいは経営顧問として会社の経営のアドバイスをしています。
【主藤】 いろいろなご経験をし、非常に幅広い視点で重茂さんがお考えになり、感じられたことを本に書かれていると思うのですが、この「35歳」という年齢ですね。私はついこの前、36歳になってしまったのですが、やはり「35歳」は1つのキーワード、区切りになるのでしょうかね。
【重茂】 この本は若い方に対するアドバイスのつもりで書いた本です。「運をつかむ人になれ」というサブタイトルがついていますが、これこそ私がこの本にかける1番のポイントなんですね。
なぜかというと、自分自身が「非常に運のいい人生を生きてきたな」という考えがあったものですから、若い方々にも「いい運をつかんでいい人生を生きていくためにどういう生き方をしたらいいか」ということをアドバイスしようと思って、この本を書いたんですね。本のタイトルとしてただ「運をつかむ人になれ」ではちょっとパンチがないので、「30歳までにやるべきこと」や「40歳までにやるべきこと」といろいろ考えたのですけど、35歳ぐらいがちょうど年齢としてはいいかなと思いました。
というのは、35歳ぐらいまでならまだ人のものの考え方はかなり柔軟性が高い。それが35歳ぐらいを過ぎていくとだんだんそれまでの経験のなかでものを考えていくようになって、だんだん考え方が固まってきてしまう。という考えがあったものですから、一応35歳までにしようとしたわけなんですね。
【主藤】 確かに言われてみると、僕はもう頭が固くなってきたかもしれない。
【重茂】 あくまで出版社としての商業製作者的なことも入っているので、このようなタイトルにしましたが、本当は年齢は関係ないんですよね。いつまで経っても頭の柔らかい方は柔らかく、柔軟性のある方はいつまで経っても柔軟性があるので。
私がいい「運」をつかんできたわけ 【主藤】 1つの目安として「35歳」という年齢を提示頂いたのはわかりやすいですし、もう1つ今お話お伺いして改めて気付かされたのは「運をつかむ人になれ」というサブタイトル。
本にも赤の字で書いてありますけれども、「運」というのがビジネスの世界においてやはり大切なキーワードなのでしょうか?
【重茂】 そうだと私は思うんですね。その人間の生き様、生き方が「運」を決定づけていくのではないかなと思うんですよ。1つは、私は誰の周りでもいろいろな「運」がいつも飛び交っていると思うのですが、いい「運」をつかめるかつかめないかというのは本人次第。
その本人がその「運」をつかめるところまで自分自身を高めていれば、「運」をつかむことができるけど、自分自身がそこに到達していないと「運」をつかむことができない。その幸運が自分の頭の上を通り越して、他の人のところへ行ってしまう。
あるいはその「運」がいかにも「幸運だ」という顔をしてきてくれれば、誰でもつかもうという気持ちになるのですが、「運」は往々にしてピンチの顔をしてくる。決して「これは幸運ですよ」という顔をしてこない。一見、非常にリスクだらけに見える。でもそこに飛び込んで一生懸命やっていくことによって、次の運が開けていくことがある。
私が40歳の時にIMSという会社を辞めて、会社の立ち上げをやろうという気になったのは、非常に恩になっていたイギリス人の元IMSの社長が「達、この仕事をちょっと新しく始めるんで手伝ってくれないか」と言ってきたんですね。
私がやっていたIMSという会社は非常に順調にいっていたし、私はその会社のNO.2で、子会社のコンピューターのソフトの会社の社長をしていて、何一つ不自由がなかったのです。両方の会社とも非常に順調にいっていて、私自身の給料も同年代の人達の何倍という給料を取っていたので生活的にも全然問題がなかったし、辞める理由は何もなかった。ただ彼が来て、「是非、手伝って欲しい」と言ってきた。これは私の人生にとって1つの転機だと思い、彼に対する恩もあったので、「彼のためなら」と思って飛び出したわけですね。
でもそれは本当にリスクだらけだったんですよ。全く新しい仕事を立ち上げるという仕事で、5年間散々やってうまくいかなかったのです。でもその5年間があったおかげで、私は次のアデコという会社にめぐり合うことができた。
【川崎】 ピンチの顔をしてやってきた。
【重茂】 ピンチの後にちゃんとチャンスがあったということですよね。だからそのピンチにおじけて、私がそこを飛び出すことができなければ、私はずっとIMSという会社のNo.2のままで終わっていたんですね。
【川崎】 「NO.2のままで終わっていた」とおっしゃいましたが、それでもいいような気がしますけれども、その時には想像するに及ばないさらなるステップアップがピンチの後に待っていたということなんですね。
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