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片桐 明
株式会社コストダウン 代表取締役/インターネットFAX総合研究会 特別研究員
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家康 「汝らは、わしの心を察していない。戦国の世でわしが先頭に立って倹約すれば、戦費の節約になり下々の者をいたわることにもなるのだ」
2012.09.29
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これは日経電子版に26日(水)、「家康、元就の長寿を支えた食生活の秘密」として掲載された記事文中にあった一文です。(この記事は「日経おとなのOFF」2012年7月号の記事を基に再構成された記事です)
家康とは徳川家康、元就(もとなり)とは毛利元就。家康は江戸幕府の祖、元就は長州藩の祖です。
家康は享年74。元就は享年75。
ともに今からおよそ500年前の1500年代を生きた戦国大名です。
特に家康はその長寿なくして、徳川幕府なし、江戸時代なしとも言えます。
豊臣家を滅ぼした大阪夏の陣は家康72歳の時です。
家康の健康と長寿を支えていたのは、麦飯と豆味噌で、三河の地方豪族、松平氏の嫡子として生まれ幼い頃から麦飯を主食にして育ち、生涯、その習慣を変えることはなく、家康の麦飯は、丸粒の大麦に胚芽や糠の残った半搗き米を混ぜたもの。ミネラルや食物繊維が豊富で、便通も良くした。この麦飯が、家康の長寿の源だったといわれているそうです。
まだ地方大名で岡崎城にいた頃、家臣が気を利かせ、椀の底に白米飯を盛り、その上に麦飯をかぶせて出すと、家康は「汝らは、わしの心を察していない。戦国の世でわしが先頭に立って倹約すれば、戦費の節約になり下々の者をいたわることにもなるのだ」と激怒したエピソードが残っているなど、質素倹約の精神からも麦飯を好んでいたといわれます。
専門家によると「麦にはビタミンB1やカルシウムなどが豊富に含まれます。さらに、家康の麦飯は麦と胚芽の残った半搗き米を混ぜたものなので数多く噛まなければならなかった。この咀嚼が脳や胃腸の働きを活性化させて、活力の源になったのです」ということだそうです。
家康と言えば残された晩年の肖像画ではでっぷりと太ったイメージがありますが、かなり健康には気を使っていました。
今や健康診断にメタボ診断が加わり、肥満を抑制するようになってきていますが、「肥満は万病のもと」と思います。
食は生きる源で、命と健康を保つものでとても大切ですが、バランスの取れた粗食も一考・再考に価します。
家庭から出る生ゴミの中に、実は食べ残しや賞味期限切れ等による手つかず食品があり「飽食」とも呼ばれる現在。
もしかすると「飽食」が命を短くしているのかも知れません。
余談ですが他に長生した武士としては伊達政宗(享年69)、勝海舟(享年76)、新選組の斉藤一(享年72)、永倉新八(享年76)等がいます。
実は豊臣秀吉も享年62で当時としてはなかなかなものです。
本能寺の変で倒れた織田信長(享年48)の最後のシーンで必ず登場する幸若舞「敦盛」(あつもり)の一節、「人間五十年・・・」(1200年辺りに作られたものだそうですが)は有名です。
以上、皆様のお役に立てば幸いです。
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