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和田裕美
営業コンサルタント/株式会社ぺリエ代表取締役 [ 営業 ][ サービス力 ][ 起業 ]
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和田裕美
[インタビュー]
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世界NO.2のセールスウーマンの「売れる営業」に変わる本/ダイヤモンド社(1)
2005.04.10
[ TOPBRAIN RADIO ] あのベストセラー著者に聴く!
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結果的にお客様に満足して頂ければ、 と思うことが大切。
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世界NO.2の実績!セールスウーマン和田裕美氏に迫る
【主藤】 今回のゲストは、非常にお美しい女性の方に登場頂きました。ダイヤモンド社から出版されております、なんと15万部を突破したベストセラー、『世界No.2セールスウーマンの「売れる営業」に変わる本』の著者、和田裕美さんにお越し頂きました。今日は、営業で世界No.2の実績をお持ちの和田さんに、やはり営業のコツをいろいろとお伺いしていきたいと思いますので、宜しくお願いします。
【和田】 宜しくお願いします。
【主藤】 世界No.2というのは、世界ですからすごくビックリしたんですけど、これは3800万円の年収を初めて達成された時ですか?
【和田】 違います。ちょっと(時期は)ずれています。
3800万円の時というのは、組織を作って、その後になります。そんなに変わらない年収ですが。2位になった時というのは、まだ新人で1年半目ぐらいですね。だから年収的には、これより少し低めでした。その後、組織を持って、自分の個人成績を出さないようになってからの方が、利益が出たという感じですね。
【主藤】 すごいですね。
そういういろんなご経験だとか、営業に関するノウハウがあって、この1冊の本ができあがったと思いますが、そもそもなぜこの売れる営業に変わる本を書かれたのでしょうか? 【和田】 そうですね、何か書いたらって言われたので、じゃあ書こうかなっていう感じです。
【主藤】 自分のノウハウをさらけ出すことに抵抗はなかったですか?ばらしてしまうと、ライバルが増えませんか?
【和田】 今、聞いたら、そんな感じがしてきますね。そんな深いこと、あまり考えなかったので。
【主藤】 素晴らしいですね。
【和田】 何かそんなことよりも、その時ブリタニカという会社がなくなって、日本撤退になって、それで何をやって生きていこうかなと思っていた時に、転がり込んできた提案だったので。
【主藤】 その時のテーマも、営業について。
【和田】 そうですね。私の過去の実績から、他にできることは何にもないので、その営業で成績を上げた以外、ものすごい仕様もない人間なんです。だからそれに特化して下さらないと、本は出なかったと思います。
上京して2年半、家賃8万5千円のOL時代
【主藤】 そういう和田さんが、いきなり営業でトップになったわけではないと思うので、まずは営業する前の和田さんは、どのような生活を送られていたのかというのを教えてください。
【和田】 営業する前というのは、OL時代とかですか?
【主藤】 そうですね。もとから営業をされていたわけではないですよね?
【和田】 そうですね、違います。
【主藤】 大学を卒業されて、就職はどうされたんですか?
【和田】 就職、普通の企業に就職して、私、京都出身なのですが、京都から転勤になって、東京に出てきたんですよ。それで京都といっても私、宇治市の田んぼに囲まれたようなのどかな所で育ったので、東京に出てきて、すごい都会じゃないですか。物価が高くて、生活がすごく苦しかったですよ。
【主藤】 東京に出てきて、生活が苦しかった。
【和田】 そうですね。
家賃8万5千円ぐらいでしたが、何か新卒にちょっと毛が生えた程度のお給料で、8万5千円ってきついですよね。
【川崎】 きついですね。一般的にいうと、10数万ですよね、お給料は。 【和田】 はい、そうです。東京に来た時、紹介してもらった不動産会社の人に言われて、ここが素晴らしい所で、こんなおしゃれな街はない、と言われて住んだ所が錦糸町でした。
だから本当にわけがわからず、東京へ来て、生活をしてみたらすごくお金が大変でした。そもそも、お金のことを考えて生きていくのはすごく大変じゃないですか。だからお金から自由になれる方法を探していたんですね。
【主藤】 するとOL生活は、何年ぐらい続けられたのですか?
【和田】 2年半ぐらいです。
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